まぁ、このようなことを記事でつづっても仕方ないのかもしれませんが・・・
ちょっと2年半前から現在に至るまでを振り返ることがあり、そこでふと考えたことを述べようと思います
このようにアニメーションを作ってしばらくの時間が経ちましたが・・・まぁ私の中では結構な経験をしてきました('◇')ゞ
私の個人的な考えから、ファンという立場というものを強く考えさせられた時期でもあったように思えます
その理由は、ファンという立場を利用して本気でキルギスのダンサーに恋をする人が多かったからです
私は大学で心理学と哲学、そして現在は美学もエンターテインメントも勉強していくようになり、エンターテインメントについてファンという存在は切っても切れないようなものとなるため、避けて通れるものではありません
私はスポーツ観戦も趣味で、夏は陸上競技、冬はフィギュアスケートを楽しんでいました(陸上では100m男子の多田選手、100m女子の福島選手、110mハードルの高山選手、100mハードルの青木選手、競歩の丸尾選手が好きで、フィギュアスケートでは男子は町田選手の大ファンでした、現在は男子は田中刑事選手、女子は宮原知子選手が好きです)
これらスポーツにも選手を応援するファンは絶対的に存在しています
そして、私はいろんなファンと楽しみを共有し、SNSで選手についてファンと語ったり、競技場へ足を運んではその場で話ができれば楽しんで初めて会った人と交流することもありました
そこに「恋をする」というものは存在していないわけではなかったのかもしれませんが、だからといってほかの人に焼きもちを焼いたりライバル視するわけでもなく、ただただ応援したいから応援するだけで、それ以上も以下でもなかったのです
だから私も楽しんでファンと話すことができたのです
もちろん、中には過剰な人もいましたが、それは本当に一部でした
応援しているから応援バナーを作ったり、イラストを描いたり、ファンレターを書いたりと、ファンアートを作成する人はたくさんいました
特にフィギュアスケートファンのこういったファンアートはクォリティが高いものが多く、選手の姿を絵画で描いたり、キーホルダーやシールなどのようなグッズを作ったり、選手に似合いそうなティアラや花冠を作成したりするなど、私も驚かせられるものが多くありました
こういうこともあってか、ファンというのはこういったものだとずっと思っていました
しかし、キルギスのダンサーのファンになってから、そのファンというもののイメージが大きく落ち砕かれたようでした
このきっかけから、私はファンという存在を研究対象にしていこうと思ったのです
ーファンという存在を私独自の研究分野に加えていく(2)へ続くー